銀 龍 物 語 Epi.13 結び

化学部
副部長 準パートナー
弁理士 陳 彦
               
 2015年12月号の銀龍物語の第1号を担当させていただ化学部の陳彦と申します。

 日本の大学院を卒業して、まもなく14年が経ちます。年に数回、日本出張があり、毎回、母校を訪ねてみたいとは思っていましたが、いつもハードなスケジュールでその余裕がなかったのです。

 わたしは、先週、日本出張から北京に戻ってきたのですが、今年の5月に、土日をはさんだ日本出張があり、母校を訪ねることができ、またウェイトレスのアルバイト先のマスターにも会うことができました。

 ちょうど、大学院時代の中国人の先輩が日本に戻っていたため、先輩を誘って母校を訪ねることにしました。学生時代、その先輩は、ずっとわたしのそばにいてくれて、先生に叱れたとき、ホームシックになったとき、挫折したときなどに、いろいろな相談にのってくれた人で、学生時代に大変お世話になった方です。

 学生時代、先輩とわたしは、いつも中国語で会話をしていたので、研究室の先生や後輩からは「誰かの悪口を言っているのではないか?」と疑われたりしていました。また、中国語は早口で日本語から見れば少し激しいので、「喧嘩をしているのか?」と思われたこともありました。

 先輩は、大学院を卒業した後、日本の会社に入社しました。その会社は、中国で会社を立ち上げる予定があったため先輩を採用しました。先輩の勤務地は中国の大連で、一ヶ月に一度だけ、仕事で東京に戻ってきていました。先輩が卒業していなくなり、私はすごく寂しくなり、エプロンで涙を拭く毎日でした。先輩が東京に戻ったときには、先輩のアパートに行き、研究室の話、先生の話、先輩の会社の話などをして、気が付いたら夜が明けていることがしばしばでした。

 先輩が卒業した一年後、私も卒業をむかえましたが、その頃、先輩の東京出張はなくなり、私は北京銀龍の東京ブランチに勤務し、先輩は大連で勤務するという状況になりました。2009年に、私は北京に戻りましたが、なかなか会うことができない状況でした。

 今回は、先輩と6年ぶりの再会でした。先輩と一番多い会話は、やはり先輩の会社の話でした。先輩が日本に戻ったのは、就職先のおふの会社が、日本、中国で倒産してしまったからでした。そのおふの会社は、以前には、日本市場の3分の2を占めたことがありました。しかし、最終的には、日本人の社長さんは、50年かけて育てた会社を、自分が育てた部下に譲らなければならなかったそうです。

 少し沈んだ気分で会話していたところ、学生時代のアルバイト先に到着しました。そのとたん、気分が大きく変わり、アルバイトをしていたあの頃の気持ちに戻りました。可愛いエプロン付きのウェイトレスの服は私の頃と変わらず、なんだか不思議な気持ちでした。あのエプロンをまた結びたいと感じました。

 糸をつなげることも結び、人をつなげることも結び、時間がながれることも結び、全部神様のちから、寄り集って形を作り、ねじれて、からまって、ときには戻って、途切れ、また繋がり、それが結び、それが時間。

 マスターとは本当に久しぶりの再会でしたが、歓迎してくれました。マスターは、いつもの通り、お元気で、お客様に美味しい料理を提供しています。小さいお店ですが、30年もの間、同じところで、毎日、お客さんに美味しい食事を出しています。そのことは、中国人にとって想像もつかない話です。

 アルバイトのお店を後にして、学校に向かいました。学校と駅は離れていて、歩いたら15分くらいかかります。学生時代、駅から出て、自転車に乗るか徒歩で、農大通りを通学しました。この農大通りには、いろいろ思い出があります。どこかで後輩と食事をしたり、友達のアルバイトのお店で食事したり、カラオケ屋さんで悩みを解消したりした思い出があります。しかも、この通りで、アルバイト先に急いで向かっていた際、飛び出して車にぶつかった記憶もあります。そのときは、膝から少し血が出ましたが、運転手さんから何かあった際の連絡先をもらいましたが、そのままアルバイトをしました。

 母校に到着しました。土曜日なので、学校は凄く静かでした。研究室には、私の時と違って誰もいませんでした。その当時、先生は私たち院生に対してすごく厳しくて、先生と同様に、土曜日の登校を求められていました。土曜日なのに、研究室で、実験をやったり、勉強したりしていましたが、今ではよい思い出です。

 今回、残念ながら、先生にはお会いできませんでしたが、研究室の掲示板を読んだところ、その当時の研究室の先生、すなわち応援団のリーダが定年になりました。もう、そんな時期になったんだなぁと思いました。農大の応援団といえば、皆様ご存知のように、大根踊りのことです。応援団にとっては礼儀が一番重要なことであり、その当時、いつも、応援団の黒服を着た学生が研究室に来て、廊下で大きい声で、失礼しますと言ってから、先生の部屋をノックし、許可を得てから、部屋に入っていました。その風景がまるで昨日のことのように頭に残っています。

 経堂駅に着いて、以前のアルバイト先、母校を14年ぶりに訪ねましたが、何度も何度も夢ではないかとほほを抓っていました。また、もしかしたらあの頃の友人たちに出会うのではないかと思いながら散策していました。母校を出たときには、すでにたそがれどきを過ぎて辺りが暗くなっていました。空を見上げてもさすがに1200年に1回の彗星は飛んではいませんでしたが。

P.S. 『君の名は』は、北京の映画館でも、若い大学生で満員状態であり、中国の大学生の日本アニメファンの多さに改めて驚いています。

                                 以上
                    (銀龍物語Epi.13  おしまい)